母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『身体の言い分』内田樹・池上六朗

割と2020年ベスト本かもしれない。

なんか愛すべき胡散くささというか、

信じてもいい可愛い嘘みたいな、

そういうツボを突いてて、

頭が少しだけ、整いました。

 

信じた先に救いもなければ、

自己革命の類いもない。

怪しいお金もないし、ガチガチな損得勘定もあんまりなくて、

ただちょっと面白いし、気持ちが楽になるよね、っていうツボ。

 

まさに、信じることと知ること。

 

〜〜〜


p.37

ありとあらゆる場面で「自分らしさ」を貫徹するということは、「場の特殊性」というファクターをコミュニケーションに際して勘定に入れないということですからね。自分が向き合っている相手がどういうふうに自分と違う立ち位置からこの場を共有しているのか、という自他の「ずれ」を一切顧慮しないで、ひたすら「自分らしさ」なるものを押し出してゆくというのは、意図的に自分のコミュニケーション感受性を殺すことに等しいわけですよね。

 

p.44

まだこの世に存在しない飛行機が、大空でどのように飛行するのか、それが実現したら世界的にどんな展望が開けるのか……。そんな話をうかがっているうちに、ヴィジョンというのは未来完了で語られんだな、と強く思いました。

 

p.63

多田宏先生は「宇宙の真ん中に軸を立てる」という言い方をすることがあります。天地を貫く一本の軸がある。その軸に自分の体軸を合わせるとアラインメントが合う。道場に立って、稽古の前にまずアラインメントを合わせる。それは自分が「正しい時、正しい場所に、正しい仕方でいる」ということをまず確認するというか、断定することだと思うんです。ライト・タイム、ライト・プレイスですね。今ここにいる、自分がまさにいるべき空間の一点に、自分がまさにいるべき時にいる、自分がいるべくしている、という確認をしてから稽古に入る。

 

p.80

「先を取る」というのは、別に物理的・空間的なポジションに相手より早く着く、ということではないんです。空間的に「速い」んじゃなくて、時間的に「早い」んです。時間的に早く動き出したものに、遅れた人間は必ずついてゆく。

 

p.91

そうしたら、なんだ、さっきと違うことをやっているんだ、って。これはどんな治療法でも共通に言えます。だから、何でも、さっきじゃないことをやってみればいい、と言っているんです。

 

p.96

体を細かく割っていくと、わたしにはエマルジョンのような状態がイメージされるんです。エマルジョンというのは、ある液体の中に、これに溶けない液体状の微細粒子が浮遊している乳濁液のことです。この浮遊というイメージがわたしには大事なんですね。ただランダムに浮かんでいるのではなく、高度に組織化されたコヒーレントな塊というイメージです。 

 

p.101

ぼくも見ているんだけど、ぼくがみているだけじゃなくて、今この場にいて、これを見ている全部の人が見ているイメージが重なって、ぼくの中で輻輳しているわけだから、いわばみんなが同時に場にいる人数分の視像を共有していることになりますよね。リアリティってそういうものだと思うんです。ぼくが今見ているものだけが見えるものなんじゃなくて、ぼくと今、場を共有している人も、これと同じ対象を過去に見た人、未来に見るであろう人の知覚もぜんぶそこに層をなしている。そういう無数の経験の厚みの中で、個人的な知覚というものは機能するんだと思うんです。

 

p.161

つまり、社会の承認を求めていると言いながら、社会のことなんかぜんぜん見ていないんですよね。「社会的な承認」という非常にプライベートな幻想に耽溺しているだけであって、見ていないですよ、社会そのものもそこで生きている人の姿も。

 

p.176

だからわたしはご縁を信じていますよ。こんな出会いはすばらしい。そう思ったら、その先なんてバラ色に決まっている。そう思わないから、不安が起きるのかもしれないですね。

 

p.189

今の自分のフレームワークというのがずっと続くと思い込んでいるんですよ。これを壊したくない、壊れるはずがないと思っている。そんな狭い了見で、その上、こんなのになれっこないと思っていたらそれはなれませんよね。自分はなれないと思っているものにはなれませんよ。

できあいの狭苦しいフレームワークに詰め込めるだけ詰め込んでいくんですね。取り込めるものだけ詰め込もうとする。フレーム自体変化するということがわからない。日々の経験で自分自身のものの考え方が変わり、容量が大きくなるという当たり前のことが想像できないんです。今日、明日のことを心配しているきみと、明日のきみは別人であるという自明のことがわからないんです。

 

p.265

結局、目の前にあるものの価値を構成しているのは、じつは「先取りされた未来の喪失感」なんですよ。今存在しているものの価値を構成しているのは、じつは未来なんです。その未来において失われた時の喪失感が、今あるものの「かけがえのなさ」を担保している。

 

p.271

人生の目的というものは自分勝手に決めるもので、それを実現させることが自己実現だなんて思っているのはつまらない人生ですよね。何かに出合ったら、そのベクトルを合成して無理なく生きる。そうしたら、おもしろいことが次から次へとやって来るんだから。

 

p.289

信じる、信じないということと、それが現に「機能している」ということとはレベルの違う出来事なんですよね。現に機能している以上、それは認める。

 

p.304

そうして、自分には熱があるかどうかをモニターしているときには、なぜか外から入ってくる言葉に対しても無防備になっている。内部に対するセンサーが働いているときには、外部に対するセンサーも働いている。すべての入力に対して、先入観を排して、中立的に評価するという態度になる。

 

p.309

合気道でも、「現場はまず中枢に情報を上げて、どう対処するかを中枢が判断して、指令を下して、現場はそれに従って動く」というモデルに固執する人はだめなんです。