母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『堕落論』坂口安吾

p.7

だから、昔日本に行なわれていたことが、昔行なわれていたために、日本本来のものだということは成り立たない。外国において行なわれ、日本には行なわれていなかった習慣が実は日本人にふさわしいこともあり得るのだ。模倣ではなく、発見だ。

 

p.21

京都や奈良の寺々は大同小異、深く記憶にも残らないが、今もなお、車折神社の石の冷たさは僕の手に残り、伏見稲荷の俗悪きわまる赤い鳥居の一里に余るトンネルを忘れることができない。見るからに醜悪で、てんで美しくないのだが、人の悲願と結びつくとき、まっとうに胸を打つものがあるのである。これは、「無きに如かざる」ものではなく、そのあり方が卑小俗悪であるにしても、なければならぬ物であった。そうして、竜安寺の石庭で休息したいとは思わないが、嵐山劇場のインチキ・レビューを眺めながら物思いに耽りたいとは時に思う。人間は、ただ、人間をのみ恋す。人間のない芸術など、あるはずがない。郷愁のない木立の下で休息しようとは思わないのだ。

 

p.30

このような微妙な心、秘密な匂いをひとつひとつ意識しながら生活している女の人にとっては、一時間一時間が抱きしめたいようにたいせつであろうと僕は思う。自分の身体のどんな小さなもの、一本の髪の毛でも眉毛でも、僕らにわからぬ「いのち」が女の人には感じられるのではあるまいか。