母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『走れメロス』太宰治

裏の裏をかいて、寧ろ素直、みたいな。

いや、裏の裏の、そのまた裏の裏かもしれないけど。

 

太宰治については強烈な自意識だなぁなんて幾ばくか思っていたのだけど、

ここにきて、自意識への恥と愛着の具合がなかなか心地よいな、なんて感じられてる。

不意に現れるのは、絶望や苦悩の末のどうにもなれの瞬間を味わってきたという経験値。

そのキュウソネコカミをポジティブな方向にドンと打ちつけられた時に、彼の魅力が尚一層引き立っているように思う。

思わず内省して、思わず素直に生きたくなる短編集だった。

 

にしても『富嶽百景』『女生徒』あたりは溢れんばかりだね。

やっていやがる。

 

『ダス・ゲマイネ』

p.30

私はぼんやりしていた。だんだん薄暗くなって色々の灯でいろどられてゆく上野広小路の雑沓の様子を見おろしていたのである。そうして馬場のひとりごととは千里万里もかけはなれた、つまらぬ感傷にとりつかれていた。「東京だなあ」というたったそれだけの言葉の感傷に。

 

富嶽百景』 

p.55

私が、あらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すっと見えた。おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。やっていやがる、と思った。

 

p.69

さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。

三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。

 

『女生徒』

p.87

青い湖のような目、青い草原に寝て大空を見ているような目、ときどき雲が流れて写る。とりのかげまで、はっきり写る。美しい目のひとと沢山逢ってみたい。

 

p.90

また、或る夕方、御飯をおひつに移している時、インスピレーション、と言っては大袈裟だけれど、何か身内にピュウッと走り去ってゆくものを感じて、なんと言おうか、哲学のシッポと言いたいのだけれど、そいつにやられて、頭も胸も、すみずみまで透明になって、何か、生きて行くことにふわっと落ちついた様な、黙って、音も立てずに、トコロテンがそろっと押し出される時のような柔軟性でもって、このまま浪のまにまに、美しく軽く生きとおせるような感じがしたのだ。

 

p.95

何しろ電車の中で、毎日こんなにふらふら考えているばかりでは、だめだ。からだに、厭な温かさが残って、やりきれない。何かしなければ、どうにかしなければと思うのだが、どうしたら、自分をはっきり摑めるのか。これまでの私の自己批判なんて、まるで意味ないものだったと思う。批判をしてみて、嫌な、弱いところに気附くと、すぐにそれに甘くおぼれて、いたわって、角をためて牛を殺すのはよくない、などと結論するのだから、批判も何もあったものでない。何も考えない方が、むしろ良心的だ。

 

p.133

自分のぶんを、はっきり知ってあきらめたときに、はじめて、平静な新しい自分が生れて来るのかもしれない、と嬉しく思った。

 

 

『駈込み訴え』

p.154

なんという思慮のないことを、言うものでしょう。思い上りも甚しい。ばかだ。身のほど知らぬ。いい気なものだ。もはや、あの人の罪は、まぬかれぬ。必ず十字架。それにきまった。

 

走れメロス

p.169

メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯き、メロスはひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満点の星である。

 

『東京八景』

p.203

自分の運命を自分で規定しようとして失敗した。ふらふら帰宅すると、見知らぬ不思議な世界が開かれていた。Hは、玄関で私の背筋をそっと撫でた。他人の人も皆、よかった、よかったと言って、私を、いたわってくれた。人生の優しさに私は呆然とした。長兄も、田舎から駆けつけて来ていた。私は、長兄に厳しく罵倒されたけれども、その兄が懐しくて、慕わしくて、ならなかった。私は、生まれてはじめてと言っていいくらいの不思議な感情ばかりを味わった。

 

p.212

人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして行路を選んでいるものでは無いからでもあろう。多くの場合、人はいつのまにか、ちがう野原を歩いている。

 

p.214

戸塚の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。天沼の蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。思い出の暗い花が、ぱらぱら踊って、整理は至難であった。また、無理にこさえて八景にまとめるのも、げびた事だと思った。

 

p.219

「安心して行って来給え」私は大きい声で言った。T君の厳父は、ふと振り返って私の顔を見た。ばかに出しゃばる、こいつは何者という不機嫌の色が、その厳父の眼つきに、ちらと見えた。けれども私は、その時は、たじろなかった。人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。私は両種合格で、しかも貧乏だが、いまは遠慮する事は無い。東京名所は、更に大きい声で、「あとは、心配ないぞ!」と叫んだ。これからT君と妹との結婚の事で、万一むずかしい場合が惹起したところで、私は世間体などに構わぬ無法者だ、必ず二人の最後の力になってやれると思った。