母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『一人称単数』村上春樹

p.18

それでも、もし幸運に恵まれればということだが、ときとしていくつかの言葉が僕らのそばに残る。彼らは夜更けに丘の上に登り、身体のかたちに合わせて掘った小ぶりな穴に潜り込み、気配を殺し、吹き荒れる時間の風をうまく先に送りやってしまう。そしてやがて夜が明け、激しい風が吹きやむと、生き延びた言葉たちは地表に密やかに顔を出す。彼らはおおむね声が小さく人見知りをし、しばしば多義的な表現手段しか持ち合わせない。それでも彼らには証人として立つ用意ができている。正直で公正な証人として。しかしそのような辛抱強い言葉たちをこしらえて、あるいは見つけ出してあとに残すためには、人はときには自らの身を、自らの心を無条件に差し出さなくてはならない。そう、僕ら自身の首を、冬の月光が照らし出す冷ややかな石のまくらに載せなくてはならないのだ