母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『罪と罰 下巻』ドストエフスキー/工藤精一郎訳

とうとう読み終えた。

 

「生活と自我」を対立軸に据えるのなら、

つまり、生活とは忘我だよってことなのか。

すごく分かる。

 

例えば友達や彼女や家族と一緒にいる時、

僕はしばし夢中になって忘我に陥って、自分の内なる声なんかピタって止む時がある。

あんまりその状態が長く続くと、それはそれで心地悪くて、段々と落ち着かなくなり挙句には混乱してしまう。

一人になってもソワソワして、なんだか忘我の自分の行いや振る舞いを恥じたり反省したりとする。

 

そんな中、一人で銭湯に行って、

サウナから水風呂に飛び込むと、急激に身体へ強烈に意識が向けられて、思考はクリアになる。

内なる声がここぞとばかり巡り出す。

これが「自我の奪還」だぜ、って友達には勧めてたりするのだけど。

 

だけど『罪と罰』ではその逆を問うてるのか。

それでライフ・イズ・カミング・バック。

完璧な絵に似た。

 

エピローグになった途端、

ラスコーリニコフの声が消えるのがにくい。

地の文を読み進める僕の脳内の声は加速していき、スピードを落とすことなく結末を迎える。

急に舗道がなくなって飛び出した頭の中の声は、その勢いのまま、読者の内なる声へと姿を変えていく。

 

さて、その声をどうしますか?

っていう強烈な挑戦状。

 

またしても、

信じることと知ること。

〜〜〜

 

意外とはっぴいえんどで、

もっと陰鬱とした、不条理な結末かと勝手に思い込んでたよ。

 

葉蔵さんとホールデン君。

そこにラスコーリニコフ君も加わって。

今の若者だってバチバチに共感できちゃうんだから、古典って黄金だよね。

 

〜〜〜

 

p.67

廊下は暗かった。彼らはランプのそばに立っていた。一分ほど黙って顔を見合っていた。ラズミーヒンは生涯この瞬間を忘れなかった。ぎらぎら燃えたひたむきなラスコーリニコフの視線が、刻一刻鋭さをまし、彼の心と意識につきささってくるようだった。不意にラズミーヒンはぎくっとした。何か異様なものが彼らのあいだを通りぬけたようだ……ある考えが、暗示のように、すべりぬけた。おそろしい、醜悪なあるもの、そして二人はとっさにそれをさとった……ラズミーヒンは四人のように真っ蒼になった。

 

p.254

それはみな、ごく些細なことまで、ぼくの中の二つの声がもうさんざん議論したことなんだよ、だからすっかり知ってるんだよ、すっかり!そのときにもうこんなおしゃべりはあきあきしてしまったんだ、もううんざりしてしまったんだよ!ぼくはすっかり忘れようと思った、そして新しくスタートしたかった。おしゃべりをやめたかった!ソーニャ、きみはぼくがばかみたいに、向う見ずにやったと思うのかい?とんでもない、ぼくはちゃんと考えてやったんだよ。そしてそれがぼくを破滅させてしまったのだ!また、ぼくが、権力をもつ資格が自分にあるだろうか、と何度となく自問したということは、つまりぼくには権力をもつ資格がないことだ、ということくらいぼくが知らなかった、とでも思うのかい?また、人間がしらみか?なんて疑問をもつのはーーつまり、ぼくにとってには人間はしらみではないということで、そんなことは頭にも浮ばず、つべこべ言わずに一直線に進む者にとってのみ、人間がしらみなのだということくらい、ぼくが知らなかったと思うのかい?ナポレオンならやっただろうか?なんてあんなに何日も頭を痛めたということは、つまり、ぼくがナポレオンじゃないことを、はっきり感じていたからなんだよ……こうしたおしゃべりのすべての苦しみ、いっさいの苦しみに、ぼくは堪えてきたんだよ、ソーニャ、もうそうした苦しみはすっかり肩からはらいのけたくなったんだよ!ぼくはね、ソーニャ、詭弁を弄さないで殺そうと思った、自分のために、自分一人だけのために殺そうと思ったんだ!このことでは自分にさえ嘘をつきたくなかった!母を助けるために、ぼくは殺したのじゃないーーばかな!手段と権力をにぎって、人類の恩人になるために、ぼくは殺したのではない。ばかばかしい!ぼくはただ殺したんだ。自分のために殺したんだ、自分一人だけのために。

 


p.329

わたしはあなたがこういう人間だと思っているのです、信仰か神が見出されさえすれば、たとい腸をえぐりとられようと、毅然として立ち、笑って迫害者どもを見ているような人間です。だから、見出すことです、そして生きていきなさい。あなたは、まず第一に、もうとっくに空気を変える必要があったのです。なあに、苦しみもいいことです。苦しみなさい。ミコライも、苦しみを望むのは、正しいことかもしれません。信じられないのは、わかります、だが、小ざかしく利口ぶってはいけません。ごちゃごちゃ考えないで、いきなり生活に身を委ねることです。心配はいりません、ーーまっすぐ岸へはこばれ、ちゃんと立たせられます。どんな岸ですって?それがどうしてわたしにわかります?わたしは、あなたにまだまだ多くの生活があることを、信じているだけです。

 

p.479

彼は病気の間にこんな夢を見たのである。全世界が、アジアの奥地からヨーロッパにひろがっていくある恐ろしい、見たことも聞いたこともないような疫病の犠牲になる運命になった。ごく少数のある選ばれた人々を除いては、全部死ななければならなかった。それは人体にとりつく微生物で、新しい旋毛虫のようなものだった。しかもこれらの微生物は知恵と意志を与えられた魔性だった。これにとりつかれた人々は、たちまち凶暴な狂人になった。しかも感染すると、かつて人々が一度も決して抱いたことがないほどの強烈な自信をもって、自分は聡明で、自分の信念は正しいと思いこむようになるのである。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。全村、全都市、全民族が感染して、狂人になった。すべての人々が不安におののき、互いに相手が理解できず、一人一人が自分だけが真理を知っていると考えて、他の人々を見ては苦しみ、自分の胸を殴りつけ、手をもみしだきながら泣いた。誰をどう裁いたらいいのか、わからなかったし、何を悪とし、何を善とするか、意見が一致しなかった。

 

p.484

彼は、しかし、その夜は長くつづけて何かを考え、何かに考えを集中することができなかった。それに彼は意識の上では何も解決できなかったにちがいない。彼はただ感じていただけだった。弁証法の代りに生活が全面へ出てきた。そして当然意識の中にはぜんぜん別な何ものかが形成されるはずであった。