母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『身体の言い分』

再々再読くらい。

 

p.36

多チャンネルの人の場合は、それが深刻な矛盾にならないんですね。そういういろんなヴォイスの使い分けができる人の特徴は、メッセージのコンテつを首尾一貫させることよりも、コミュニケーシャンの回路を成り立たせることのほうが優先順位が高い、ということですね。コミュニケーションにおいて重要なのは、首尾一貫して同じことを言い続けることじゃない。「互いの声が届く」ということです。

 

p.38

だれが語るのであれ、「わたしではないだれか」が語る時に言葉は深い響きを帯び、「わたし」が語る時に「うるさい」ものになる。

 

p.64

武道の稽古はそのちょうど逆で、いるべき時に、いるべき場所にいる人間として今の自分をきっぱりと規定する。今、ここを肯定するというとこからでなければ何も始まらない。

 

p.97

その時に、作用を受ける側の体をさらに細かく割って割って、場(field)の中の出来事として捉えたほうが、さらにわかりやすい、というふうにわたしは考えるんです。物理でいう場というのは抽象概念ですから、本当は具象的には説明できないということをふまえつつ、モノをコトにすり替えたコンセプトで考える。すると、イメージすると人の状態が変わるという現象は、その空間内の場の中での出来事だと思えるんです。

 

p.161

社会の承認を求めていると言いながら、社会のことなんかぜんぜん見ていないんですよね。「社会的な承認」という非常にプライベートな幻想に耽溺しているだけであって、見ていないんですよ、社会そのものもそこで生きている人の姿も。