母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『ことばの顔』鷲田清一

2000年10月の本だからね、もう20年以上前の本。

なのに、すごく身近に感じたよ。

バランス感覚が自分と似ていて、昔ここで僕が書いていたようなことを言ってたりもしてなんだか嬉しいような。50歳くらい離れてるのに、すごいよね。鷲田さんとおしゃべりしてみたいね。

 

それでいて最後の方の、吉本隆明の言葉に僕もしっかり感銘受ける。小林秀雄の『信じることと知ること』とどこか通ずる。

「母」の無為の献身に僕らの「思想」はどこまで敵うことができるのか。

浴槽でフラニーが思わず笑みを浮かべてしまうような「太っちょなおばさん」。

柳田國男も同じようなことを言っていた気がする。

いやうろ覚えだな。誰か教えて。

とにもかくにも、

このダイレクトさは本当に強い。太い。

 

〜〜〜

 

死語となった当時のモードな言葉。意外と一周回ってご存命のお言葉もちらほら。TPOとかね。

「キレる若者」

なんか懐かしい言葉だよね。僕が小さい頃、よく聞いたよ。

当時は世相を、やや緩く、でも鋭く切ってたんだなってわかるよ。

 

〜〜〜

 

話しあいじゃなくて黙りあい。

これは寺山修司の引用か。

やっぱり、なんだかんだ、みんな良いなぁ。

こういう言葉への一つ一つのささやかな尊敬と共感が、

今日の僕を作ってる。

変なところに行かないように調整してくれてる。

 

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p.12

というわけで、いつも通常のサイズから外れてしまうので、おなじものが見えていながらちがうものを見ているきりんのように、ときにはうんと背伸びして、ときには地面に這いつくばって、そして世界に置いてきぼりにされるほど外れた時刻に、でもやはり、世界をながめていたいとおもう。そのとき、だれのことでもないからこそ、だれについてもより深く語れるようなことがらが見えてくるはずだ。

 

p.17

融和しようのない対立を内蔵していること、じぶんの二重性に引き裂かれそうになっていること。そういう事態をまのあたりにしたとき、ぼくは、ああこれが現実なんだなあ、という思いにいたく動かされる。

 

p.20

勝手な言い草とはおもうが、じぶんを大切に、とひとに言われてすなおに聴けるのに、じぶんを大事にする人間はどこか信用がおけない。じぶんというものにこだわらないときのほうが、こだわるときより、ひとは少しはましな行動をという感覚がわたしにはある。じぶんというものにこだわった物言いになると、たいてい、言葉の端々でひとを深く傷つけている。

 

p.21

ふとそんなとき出逢ったのが、「何に対してじぶんがじぶんであるかという、その関係の相手方が、つねにじぶんを測る尺度となる」という言葉。そうか、じぶんはなさけない奴でも、じぶんが気になるひとがりっぱだったらそれでいいんだ。そう考えて、すこしは慰められた。

 

p.25

こうしてモードは、賭博と同じく、たえずじぶんをちゃらにする。過去との縁を切断する。それまでとは異なるということ、それだけがモードの関心であるかのように。

 

p.32

そう、大人は現在のじぶんのみじめさを、「子ども」の美しいイメージで埋め合わせようとしている。だから何かに塗れ、きれいでないと、いらつくのだ。

 

p.38

ある目的に向かって、それにとって意味のあることばかりしていると、移ろいやすいもの、傷つきやすいもの、滅びやすいものが眼に入らなくなる。人や物をその存在に沿ってそっとまさぐることができなくなる。ぶらぶら歩いて、その道すがら、未知のものの感触に身をゆだねてみればいい。そうすれば、人生、まだまだ空席だらけに見えてくる。

ふたたびボードレールを引けば、「己の孤独を賑わせる術を知らぬ者は、忙しい群衆の中にあって独りでいる術をも知らない」。意味のあることしかできないという無能力もあることを、忘るべからず。

 

p.48

ミッショル・セールは、〈内部〉を皮膚という表層の効果としてとらえたひとだ。皮膚と皮膚が接触するところに〈魂〉が生まれると考えた。唇を噛みしめる、額に手を当てる、手を合わせる、括約筋を締める、すると、そこに〈魂〉が生まれる、と。だから、他人との皮膚の設定も「魂のパスゲーム」という意味をもつことになる。そういう〈魂〉をさらしたゲームのなかで、ひとはじぶんの存在に触れる。そう、傷のなかで。時間がなにかのきっかけで思い出したように疼かせるあの傷のなかで。そう、負った傷のぶんだけ、たしかに〈わたし〉は存在する。すくなくとも。

 

p.51

ひとつの気持ちをキープするのがむずかしいだけではない。そういう「無力感」じたいもまた洗い流されていく。そんな思いに囚われた子に、多くの「社会人」がやっているような、不在の未来のためにいまを犠牲にするという生き方が輝いて見えるはずがない。そんな未来が来たってすぐに洗い流されるのが分かっているのだから。でも、未来の幸福のために、給料を稼ぎだすために、こつこつ働いている大半の「社会人」もまた、ほんとはそのことを知りすぎるほど知っている。

 

p.92

弔いの感情、悔いの感情とは、とりもどしのきかない時間の感情である。逆に、とりかえしのつかなさそのものを純粋に反復するという逆説を生きるのが賭博であろう。人生は、そういう、とりかえしのつかなさと性懲りのなさの交代からなりたっているらしい。

 

p.101

が、彼女たちはほんとうにそれでなにを買おうというのだろう。彼女たちがほんとうに欲しいものってなんだろう。リッチな気分? じぶんに注がれるまぶしそうな視線? 物というたしかな形をもったプライド? なにがなんでもじぶんをワンランク・アップしたいというこの欲望、当世風と言われはするもののやはり、いい大学に出たい、持ち家がほしい、管理職につきたい……といったおとなのふつうの欲望を、きちんと複写している。身を削り、傷つけてでもそれを手に入れたいという、やむにやまれぬ衝動まで同じかたちをしている。それがいったいなんだと、こころの底では思ってはいないわけではないのに、である。

すごい鏡である。クローンよりもすごいコピーである。

 

p.126

荻野「今は、作者幻想や個性幻想が残っていて、それぞれの著者は作品や芸術の永続性に対する信仰を、まだどこかで引きずっています。作品が残るか否かに関係なく、場を楽しくするために使われる言葉がある方が、気楽だし楽しいんですが。」

鷲田「作者の業のようなものですね。だれかのものになることによって、貧しくなることもあるんですよ。オリジナリティのしんどさというか。」

 

p.134

荻野「遊びっていうのは、本気でやって、かつ、むなしいってことが分かってないと。むなしいから遊ぶけど、その遊びもむなしい。そのむなしさ全部引き受ける覚悟がないと大人じゃない。」

 

p.141

鷲田「遊ぶってすごいなあと思うのは、まじめになって意識は緊張の極というのに、体の方はゆるゆるにしておかないと、とっさに思い通りに体が動かないという、そういう両極持っていないといけない。パリに行った時でも体を緩めてしまって、においであるとか、圧倒的な大きさであるとか……。」

荻野「空気の感じ、ほこりの感じとか。」

鷲田「全部全開にしとかないと、新しい経験ってできないですよね。」

 

p.150

荻野「感性は知的な作業がないと研ぎ澄まされないし、感性がないと知性も育まれない。二つに分けるのは、近代の幻想ですね。私は学生によく「楽しめ」と言うんですけど、楽しむのは難しいことで、知性がないと、感じることはできない。それこそおサルさん状態から一歩も出ない。おいしさだけでなく、まずさも、おいしさとまずさの落差も、ずれも楽しめと言ってるんです。お笑いも、ずれを楽しむ、知的で論理的な行為ですよね。」

 

p.154

鷲田「ディープなものは、自分のアイデンティティを賭けるわけですから、アイデンティティを取り換える方法、複数持つ方法を積極的に考えては。

ピカソって贋作の多い人でしょ。あるとき画商が、本人に見てもらったら確かだというので、ピカソに絵を本物と偽物に分けてもらったんですって。そしたら、画商が絶対本物と思ってるものまでよけた。『私の目の前で描いた絵だから、間違いない』と画商が言うと、ピカソは『ピカソが描いたかもしれないが、おれは認めない』。そういうディープですよね。『ピカソ』というアイデンティティにとらわれなかった。」

 

p.217

が、ここに欠けているのは、ヨーロッパ文明がほんとうに重視してきた〈批判〉の精神である。「何か他のもの、知らないものを体得するには、あらかじめ自分を自分から疎隔すること、すなわち遠ざけることができ、それから、そのようにして自分から離れたところにいて、他のものを知らないもののつもりでわが物にする、ということ」である。レーヴィットのいう〈批判〉の精神とは、「世界の自己自身を観る客観的な即物的な眼差、比較し区別することができ、自己を他において認識する眼差」のことである。

 

p.224

他人を理解するというのは、他人と想いをともにすることではなく、他人との異なりを思い知らされることだ。それはときに、文の肌理のような、些細なことのうちにつよく感じられるようにおもう(最後よこの文はちょっと顔が濃すぎる、かな)。

 

p.272

それに炊事や裁縫なんかの時間も考えると、むかしの女のひとは一日じゅう働きづめだったのだろう。

このひとにとって〈わたし〉とは何か!

そう問うことの無神経さについて、むかし詩人の吉本隆明さんがていねいな言葉で語っていたのをおぼえている。そういう問いを発することを思いつきもせず、くる日もくる日も、家族のために同じことをくりかえしているそういう行為に、はたして「思想」がどこまで拮抗できるか、それをいつもひそかに自分に問うていなければならない、というような意味のことをおっしゃってた。