母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『移動祝祭日』アーネスト・ヘミングウェイ/福田隆太郎訳

少しだけ固い翻訳。有名人たちが当たり前のように若かりしヘミングウェイの周りに現れる。生きている彼らが馬鹿ばかしいくらい人間的。ミッドナイト・イン・パリのような黄金期への幻想。

若い時をずっと東京で暮らす僕たちの物語は何だ。

 

p.47

私は、仕事を終えたときとか、何か考え出そうと試みているとき、河岸にそって歩くの常だった。私は、歩いているとか、何かをしているとか、人びとがそれぞれ自分が理解している仕事をしているのを見るとか、そういうときの方が、考えごとをしやすかった。

 

p.67

レースに賭けることを止めたとき、私は心中喜んだけれど、一つの空虚を残された。そのときまでに、私は、良いものでも悪いものでもすべて、それが止むと、空虚を残す、ということを知っていた。でも、それが悪いものであるときは、空虚はひとりでに埋まった。もしそれが良いものだったら、それより良いものを見つけなければ、空虚が埋まらない。

 

p.92

それは、私が決して彼に対して失礼な態度をとってはならないこと、彼は疲れ切っているときに嘘をつくだけだということを忘れてはならぬこと、彼は本当に良い作家であること、また、彼が非常に深刻な家庭のトラブルを経験してきていること、などであった。私は、これらのことを考えようとして、たいへん努力したが、体がふれ合うくらい近くにいるフォードの、重苦しい、ゼイゼイ息をする、下品な様子が鼻について、それがむずかしくなった。でも、私は努力した。

 

p.115

私たちが将来することの種子は、私たち皆の中に含まれているというが、冗談を言いながら人生を生きている人たちの場合は、種子がいっそう良い土と、いっそう上質の肥料でおおわれているというふうに、いつも私には思われた。