母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『まとまらない言葉を生きる』荒井裕樹

p.6

「言葉が壊される」というのは、ひとつには、人の尊厳を傷つけるような言葉が発せられること、そうした言葉が生活圏にまぎれ込んでいることへの怖れやためらいの感覚が薄くなってきた、ということだ。

 

p.24

ハラスメントというのは「個人的な問題」だと思われがちだけど、本当は会社とか組織の在り方が問われる「社会的な問題」だ。その「社会的な問題」に個人が直面しているのであって、ハラスメントで傷つけられることは「個人的な問題」なんかじゃない。

 

p.42

たくさん「ある言葉」というのは目立つから、すぐに気がつきやすい。対して、「ない言葉」は見つけにくい。そもそも「ない」のだから、気がつきにくいのは当たり前だ。

でも、そうした「ない」ものに想像力を働かせることも必要だ。

 

p.56

うまく表現するのがむずかしいけど、臨床の現場では、「その人が『生きて在ること』への畏敬の念」みたいなものが必要なときがあって、それがないと回復への歯車自体が動き出さないことがある。

 

p.58

ぼく自身も経験しているから、よくわかる。悩みって、強引に解決を目指しても解決しない。むしろ、悩んでいること自体を認めてもらえるだけで、楽になれることも多い。

 

p.124

そんなことをさせないために、ムードに左右されないきちんとした制度を整えなければならない。ムードというのは、マジョリティにとっては空気みたいなものだけれど、マイノリティにとっては檻みたいなもの。

『走れメロス』太宰治

裏の裏をかいて、寧ろ素直、みたいな。

いや、裏の裏の、そのまた裏の裏かもしれないけど。

 

太宰治については強烈な自意識だなぁなんて幾ばくか思っていたのだけど、

ここにきて、自意識への恥と愛着の具合がなかなか心地よいな、なんて感じられてる。

不意に現れるのは、絶望や苦悩の末のどうにもなれの瞬間を味わってきたという経験値。

そのキュウソネコカミをポジティブな方向にドンと打ちつけられた時に、彼の魅力が尚一層引き立っているように思う。

思わず内省して、思わず素直に生きたくなる短編集だった。

 

にしても『富嶽百景』『女生徒』あたりは溢れんばかりだね。

やっていやがる。

 

『ダス・ゲマイネ』

p.30

私はぼんやりしていた。だんだん薄暗くなって色々の灯でいろどられてゆく上野広小路の雑沓の様子を見おろしていたのである。そうして馬場のひとりごととは千里万里もかけはなれた、つまらぬ感傷にとりつかれていた。「東京だなあ」というたったそれだけの言葉の感傷に。

 

富嶽百景』 

p.55

私が、あらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すっと見えた。おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。やっていやがる、と思った。

 

p.69

さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。

三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。

 

『女生徒』

p.87

青い湖のような目、青い草原に寝て大空を見ているような目、ときどき雲が流れて写る。とりのかげまで、はっきり写る。美しい目のひとと沢山逢ってみたい。

 

p.90

また、或る夕方、御飯をおひつに移している時、インスピレーション、と言っては大袈裟だけれど、何か身内にピュウッと走り去ってゆくものを感じて、なんと言おうか、哲学のシッポと言いたいのだけれど、そいつにやられて、頭も胸も、すみずみまで透明になって、何か、生きて行くことにふわっと落ちついた様な、黙って、音も立てずに、トコロテンがそろっと押し出される時のような柔軟性でもって、このまま浪のまにまに、美しく軽く生きとおせるような感じがしたのだ。

 

p.95

何しろ電車の中で、毎日こんなにふらふら考えているばかりでは、だめだ。からだに、厭な温かさが残って、やりきれない。何かしなければ、どうにかしなければと思うのだが、どうしたら、自分をはっきり摑めるのか。これまでの私の自己批判なんて、まるで意味ないものだったと思う。批判をしてみて、嫌な、弱いところに気附くと、すぐにそれに甘くおぼれて、いたわって、角をためて牛を殺すのはよくない、などと結論するのだから、批判も何もあったものでない。何も考えない方が、むしろ良心的だ。

 

p.133

自分のぶんを、はっきり知ってあきらめたときに、はじめて、平静な新しい自分が生れて来るのかもしれない、と嬉しく思った。

 

 

『駈込み訴え』

p.154

なんという思慮のないことを、言うものでしょう。思い上りも甚しい。ばかだ。身のほど知らぬ。いい気なものだ。もはや、あの人の罪は、まぬかれぬ。必ず十字架。それにきまった。

 

走れメロス

p.169

メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯き、メロスはひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満点の星である。

 

『東京八景』

p.203

自分の運命を自分で規定しようとして失敗した。ふらふら帰宅すると、見知らぬ不思議な世界が開かれていた。Hは、玄関で私の背筋をそっと撫でた。他人の人も皆、よかった、よかったと言って、私を、いたわってくれた。人生の優しさに私は呆然とした。長兄も、田舎から駆けつけて来ていた。私は、長兄に厳しく罵倒されたけれども、その兄が懐しくて、慕わしくて、ならなかった。私は、生まれてはじめてと言っていいくらいの不思議な感情ばかりを味わった。

 

p.212

人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして行路を選んでいるものでは無いからでもあろう。多くの場合、人はいつのまにか、ちがう野原を歩いている。

 

p.214

戸塚の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。天沼の蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。思い出の暗い花が、ぱらぱら踊って、整理は至難であった。また、無理にこさえて八景にまとめるのも、げびた事だと思った。

 

p.219

「安心して行って来給え」私は大きい声で言った。T君の厳父は、ふと振り返って私の顔を見た。ばかに出しゃばる、こいつは何者という不機嫌の色が、その厳父の眼つきに、ちらと見えた。けれども私は、その時は、たじろなかった。人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。私は両種合格で、しかも貧乏だが、いまは遠慮する事は無い。東京名所は、更に大きい声で、「あとは、心配ないぞ!」と叫んだ。これからT君と妹との結婚の事で、万一むずかしい場合が惹起したところで、私は世間体などに構わぬ無法者だ、必ず二人の最後の力になってやれると思った。

『天才の世界』湯川秀樹

最後の方に世阿弥の「離見の見」が出てきて少し興奮する。いくつかの点が、線になった快感。

それにしても、「あとがきにかえて」がスリリングで笑う。湯川先生を分析しようとしだす市川氏。

 

自己顕示と自己矛盾。昇華と客観的価値。

このあたりを絡めながら、でも、僕は天才たちを歪な変異種とは思わない、という姿勢。

最近は自分が、このインクルーシブな物の見方にひどく惹かれているということが判る。

だから、湯川秀樹が好きになったし、それを語るとき、僕は僕自身を語っている。

それは憧憬か、それとも。

 

そういった人たちみんなと友達になれたらな。

生きている人も亡くなっちゃた人も。

色々話したいな、それで、話し過ぎちゃったなぁって少しだけはにかみたいな。

 

p.4

他の大多数の人たちの場合には、いろいろな理由から、創造性が潜在状態のままで終ったり、またそれが現実化されても、それが大きな客観的価値とうまく結びつかなかった。私たちはそう考えるのである。それは天才を絶対化しないことを意味する。それは同時に天才のパターンの多様性を重視することでもある。

 

p.35

彼は自分の興味を、宗教だけに制限しようと思ってもできない。というところに彼のひじょうに万能的な天才の特色がある。密教こそはと思うけれども、そこでとどまらんで、ほかのものもワッと取り入れる。〜どの段階の思想も捨てずに、最後に全部、自分の説のなかに取り入れる。これはこれなりに意味があるというふうに取り入れる。これは視覚的、つまりヴィジュアルな直観的な型であるということで、みなを同時的に全部生かす考え方です。

 

p.54

彼はひじょうにヴァイタリティをもっているから、やはりそれをサブリメーションしなければならない。欲望を昇華、向上させなければならない。宗教的修行、それに学問的な活動、芸術的な活動、ありとあらゆることをやる。土木技師的なことまでやるというのは、彼はエネルギーに満ち満ちているから、それらのすべてを意欲的にやらずにはおれない。

 

p.59

彼がふつうならば身がもたんというほどのごつい肉体的・精神的エネルギーをもちながら、多少俗なことにかかわったが、全体としてみごとな生涯を送ることができたというのは、本来的にはペシミズムが一生ずっとつきまとっておったからだと思う。

 

p.118

お父さんも何処かへ行ってしまったり、いろんなことがあるわけでしょう。お父さんは、さきほどの「庭に小蟻とあそべり」という式のね。そういうなかにあって社会をみると、そこは時代閉塞の状況、内外をみる目が一致してくるわけや。人間というのは、そういうふうになってくるまのなんじゃないでしょうかね。

 

p.200

そういうことがら自身はひどい話で、そういう農奴を人間扱いしておらぬ。ことに死んだものの売り買いをする、とんでもないことをやっているんだけれども、しかし、それをやっている人間は退廃しているかもしれんけれども、彼らもやはり人間性をもっているのやな。だから、その描写が生き生きとしている。たしかに、ひどいといえばひどいですよ。ですけれども、やはりそれぞれの人物がまた生きた人間やね。そこに救いがあるのやと思う。

ーーーなるほど、その立場から眺めてみますと、えげつなさはあっても、やはりそれぞれの人物が、また人間として生きているわけですね。

だから、嘘をついたり、二重人格みたいになっているけれども、二重人格なら、二重人格としての人間をやっぱり描いている。彼がほんとうに思っていることは、わたしは見方が甘いかもしれんけれども、単に一方的になにかを否定しているのではなくて、そこにもなにか人間に対するところの、悪いことばを使えば、憐みだけれども、なにかひじょうに深いヒューマニズムが底にあって、しかし、そういう格好ではあらわれず、リアリズムとしてしか出てこないわけや。

 

p.250

しかし、それは彼の内部で形が変わっている。いちばん生な感情、生の情緒、心の奥底にある生の気持ちは押えられて、それをだれがみても美しいというものにする。そのときにひじょうに葛藤があるわけですね。ふつうの人からみたら異常心理的なものと、それからふつうの芸術作品として立派なものをつくるという覚めた気持ちとが、矛盾葛藤して傑作が生まれてくる。それを抜きにしては歌の完成はない。

ですから、そういう深層心理的な、自分ではわからんような内面葛藤がうまくサブリメーションされて、そこに大芸術品が生まれるのかもしれん。あるいはまたニュートンの『プリンキピア』のようなものが生まれてくる。

 

p.273

やはり相当無理に、つまりふつうの限度より以上に頭脳を酷使するといいますか、なにか無理をするということがやはり必要なんじゃないかと思いますね。人によってあらわれ方が違いますけれども、ふつうの程度の集中では平凡なものしかあらわれてこない。それを突ききって、ふつうの意味での限界以上に努力を集中・持続しなければならぬ。

 

p.274

だから、それはひと言であらわしますと、自分をもはや意識的にコントロールできないような状況にまでいかんとあかんということだと思いますね。ある人が自分を一生みごとにコントロールし続けたら、それはそれなりに立派ですけれども、それだけでは常人以上の仕事はできない。一生のどこかで自分をコントロールできんような状況に何度かなるわけです。そういうことではないでしょうかね。

 

p.319

精神的ヴァイタリティが強いということは、それを自分がコントロールすることがむつかしいということや。コントロールする力が必要なんですよ。コントロールをぜんぜん失ったらどないもならぬ。しかし、コントロールできんようなヴァイタルな精神の活動を、ある程度コントロールする。そのコントロールの側を意識的にこういうものだということを、はっきりつかんでいたのがデカルトです。〜そういう面では、大天才というのはみずからの矛盾葛藤のなかの、自己発展の衝動がものを生み出しているということがいえますね。

 

p.329

どの人についても、いまわたしのいうたことは多少ともあたっているわけで、ひと言でいいますと、ある人間、それはやはり、かつて生きておった人間であって、しかもやはりひじょうな矛盾に自分自身悩んでおった。その悩み方がひじょうに深いわけですね。それだけにふつうの人以上に深刻な悩みをもって、人生を歩いてきたんですね。これを簡単に病理的とかいうことで、かたづけてしまってはいかんと思うんです。そういう人たちは、ほかの人たちにとって、ある意味で人間の代表みたいな、典型的なものですわね。そういうふうにとらえるべきであって、わたしも市川さんも以前から、クリエイティヴィティ、創造性ということを考えてきたけれども、それは少数の天才だけの話じゃなくて、たまたま、天才の場合にはそれがひじょうにはっきりあらわれている、というに過ぎなかった。

 

p.349

そういたしますと、これはおもしろいことになります。つまり、他人を批評し、他人をほめ、あるいは他人に感動しているその人物というものは、じつのところは、ほとんど偽りなしに、自己を無意識に吐露しているという結果になるとわたしは思うんです。もとより、このことは、すでに利害関係のなくなっている過去の人物について語っている場合なんでありますが。なぜならば、利害がほとんど消えうせた過去の他人のことを論じているんですからね。今日、現在生きている自己を論じているのではない。

さて、他人に対する評価、好ききらいというのは、無意識の間に自己の立場と、自己の価値観、あるいは評価のものさしを通じて他人を位置づけていることなんでしょう。でありますから、そこには、論じられている人物以上に、論じている人物の自己があらわに出ているとみなきゃならぬと思うんです。

『「いき」の構造』九鬼周造

『「いき」の構造』

p.15

陰鬱な気候風土や戦乱の下に悩んだ民族が明るい幸ある世界に憧れる意識である。レモンの花咲く国に憧れるのは単にミニョンの思郷の情のみではない。ドイツ国民全体の明るい南に対する悩ましい憧憬である。「夢もなお及ばない遠い未来のかなた、彫刻家たちのかつて夢みたよりも更に熱い南のかなた、神々が踊りながら一切の衣装を恥ずる彼地へ」の憧憬、ニイチェのいわゆる flügelbrausende Sehnen はドイツ国民の斉しく懐くものである。


p.18

文化存在の理解の要諦は、事実としての具体性を害うことなくありのままの生ける形態において把握することである。

 

p.64

およそ意識現象としての「いき」は、異性に対する二元的措定としての媚態が、理想主義的非現実性によって完成されたものであった。その客観的表現である自然形式の要点は、いちげんてきへいこうを軽妙に打破して二元性を暗示するという形を採るものとして闡明された。

 

p.98

意味体験を概念的自覚に導くところに知的存在者の全意義が懸っている。実際的価値の有無多少は何らの問題でもない。そうして、意味体験と概念的認識の間に不可通約的な不尽性の存することを明らかに意識しつつ、しかもなお論理的言表の現勢化を「課題」として「無窮」に追跡するところに、まさに学の意義は存するのである。

 

p.100

「ヘルメスのために私が建てた小さい神殿、直ぐそこの、あの神殿が私にとって何であるかを知ってはいまい。路ゆく者は優美な御堂を見るだけだーーーわずかのものだ、四つの柱、きわめて単純な様式ーーーーだが私は私の一生のうちの明るい一日の思出をそこに込めた。おお、甘い変身(メタモルフォーズ)よ。誰も知る人はないが、このきゃしゃな神殿は、私が嬉しくも愛した一人のコリントの乙女の数学的形像だ。この神殿は彼女独自のつりあいを忠実に現わしているのだ」

 

p.107

我々の精神的文化を忘却のうちに葬り去らないことによるほかはない。我々の理想主義的非現実的文化に対して熱烈なるエロスをもち続けるよりほかはない。「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解を得たのである。

 

『風流に関する一考察』

『生き抜くための整体』片山洋次郎

p.19

風邪などの不調も、長いサイクルの中で見れば、身体のバランスに普段よりも大きなゆらぎを呼び込んで、ガクッと大きく脱力することで、より良い回復へと導くプロセスです。身体に溜まった疲れを吐き出す回復のシステムの一部というふうに、積極的にとらえることもできます。

 

 

『たたずまいの美学 日本人の身体技法』矢田部英正

p.12

誰しも異なる習慣に出くわすと、はじめはそれを「違和感」として受け止めてしまいがちである。それは自国の過去の文化についても同じことが起こる。その違いに対して「キレイ」「きたない」「良い」「悪い」という判断を下す前に、「なぜ?」という問いを立ててみる。その問いに、一定の答えが得られた時に、はじめは「違和感」を覚えた事柄に「理解」が生まれ、新たな「物の見方」を獲得することで、それが「愛着」や「美意識」へと変わることもある。

 

p.64

つまり訓練によって磨きあげられた身体技法は、たとえそれが民族固有の方法に基づくものであっても、状況に応じて技法を使い分けることによって、異文化の文脈にも自己を適応させることができることを、こうした事例は証明しているように思う。ここに「技術」をもつことの一つの意義を指摘することができる。

習慣的に身につけられた身体技法は、無意識の間に身体に内在化されてしまい、そこから逸脱することが極めてできにくい。社会一般としては、おそらくそうであると思われるが、しかし、自己の身体を自由に使いこなすための訓練を受けた専門家たちにとって、身体技法の社会的・民族的な諸方向は、必ずしも身に科せられた呪縛なのではない。

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』戸部良一 他

P.25

すなわち、平時において、不確実性が相対的に低く安定した状況のもとでは、日本軍の組織はほぼ有効に機能していた、とみなされよう。しかし、問題は危機においてどうであったか、ということである。危機、すなわち不確実性が高く不安定かつ流動的な状況ーーそれは軍隊が本来の任務を果たすべき状況であったーーで日本軍は、大東亜戦争のいくつかの戦争失敗に見られように、有効に機能しえずさまざまな組織的欠陥を露呈した。

 

p.68

ノモンハン事件は日本軍に近代戦の実態を余すところなく示したが、大兵力、大火力、大物量主義をとる敵に対して、日本軍はなすすべを知らず、敵情不明のまま用兵規模の測定を誤り、いたずらに後手に回って兵力逐次使用の誤りを繰り返した。情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていたのである。

また統帥上も中央と現地の意思疎通が円滑を欠き、意見が対立すると、つねに積極策を主張する幕僚が向こう意気荒く慎重論を押し切り、上司もこれを許したことが失敗の大きな原因であった。