『どもる体』伊藤亜紗
p.83
もちろん、そのような力が人間のコミュニケーションにとって常に必要なわけではないし、実際には単なるノイズになることのほうがはるかに多いでしょう。けれども、言葉を操る意識を押し流してしまうほどの興奮の塊を目の前にすると、私たちはとてつもない魅力を感じることがあります。
武満徹が吃音に見出したのも、そのような魅力でしょう。「職業化された話し方のそらぞらしさ」とは違う、「体と結びついた強さ」が吃音にはあると武満は言います。「どもりは行動によって充足する。その表現は、絶えず全身的になされる。少しも観念に堕することがない」。
『写真的思考』飯沢耕太郎
p.13
写真は静止画像であるがゆえに、画面の隅々まで視線を走らせ、その細部をほぼ同時に、何度でも味わいつくすことができる。動画では不可能な読みの厚み、予知や記憶を総動員した思考の運動が可能になってくるのだ。
p.19
『センチメンタルな旅』の陽子は、胎児であり、生者であり、同時に死者でもある。そこでは過去・現在・未来が入り混じり、予感と記憶が絡みあう。むろんこのような神話的思考が、あまりダイナミックに働かないような写真もあるだろう。
読めなかった本
『必然的にばらばらなものが生まれてくる』田中功起
『芸術の中動態 受容/制作の基層』森田亜紀