母音で愛を語りましょう

私をとりまく、ぐるりのこと。

『回転木馬のデッド・ヒート』村上春樹

p.13

自己表現が精神の解放に寄与するという考えは迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。もしそのような目的のために自己表現を志している方がおられるとしたら、それは止めた方がいい。自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体に効用もないし、それに付随する救いもない。

 

p.58

バーの中はしんとして彼女の他には逆の姿もなく、夕暮の闇もそこまでは届いてはいなかった。まるで彼女自身の一部があのタクシーの中に置き忘れられてきてしまったような感じがした。彼女の一部がまだあのタクシーの後部座席に残っていて、あの夜会服を着た若い俳優と一緒にどこかのパーティ会場に向かっているような、そんな感じだった。それはちょうど揺れる船から下りて、強固な地表に立ったと感じるのと同じ種類の残存間だった。肉体が揺れ、世界がとどまっていた。

思い出せないほどの長い時間がたって、彼女の中のその揺れが収まった時、彼女の中の何かが永遠に消えた。彼女はそれをはっきりと感じることができた。何かが終ったのだ。

 

p.78

彼はその情事を通じてあるひとつの事実を学ぶことになった。驚いたことに、彼は既に性的に熟していたのである。彼は33歳にして、24歳の女が求めているものを過不足なくきちんと与えることができるようになっていたのである。これは彼にとっての新しい発見だった。彼にはそれを与えることができるのだ。どれだけ贅肉を落としたところで、彼はもう二度と若者には戻れないのだ。

 

p.97

僕はそういった状況に追いこまれたことについて彼女に対してそれなりに腹を立ててはいたが、それと同時に美しい女を抱くという行為の中にはある種の人生のぬくもりのようなものが含まれていて、そういったぼんやりとしたガス状の感情が、既に僕の体をすっぽりとくるんでいた。僕はもうどこにも逃げだせなくなっていた。