エンディングが素敵だ。
僕シリーズはこれで終わりだけど、
一切を受動態で切り抜け生きてきた「僕」が、
とにかく彼女を失いたくない気持ちに駆られる。
大いなるもの(時に、時間や死。時に、闇組織や怪物や地震)を前にして、
小さき無力な主人公が、一人でも自分なりに足掻く。
村上春樹の作品にずーっと貫いているテーマの、
萌芽のようなエンディング。
僕は「神の子どもは皆踊る」の中の『蜂蜜パイ』が一番好きなのだけど、
その最後に近い。
ちょっと前映画化された『バーニング(納屋を焼く)』もそのテーマが正確に彫り込まれていたから、すごく好き。
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思いつきの連続のような「冒険」が徐々に「死と喪失」に絞りを当てられていく様は、アジャイルでこの物語が綴られたんだなと感じさせる。
どういうエンドになるかなんかきっとさっぱり決まっていなくて、
村上春樹の、その当時の人生や悩みや情熱が、筆を進めさせている感じ。
僕らはそれをなぞって読む。
終わりそうになって、終わらない最後のパートは、
ようやく得た幸福を離したくない我儘さだけじゃなくて、
もう失いたくないという焦りと怖さが妙にリアル。
僕らはそれをなぞって読む。
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ビートルズの作品が中期から「I」と「you」の主観だけの世界観から脱却していくように、
村上春樹の作品もこの頃から『物語』として色が強くなる。
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p.61
「私、あなたのことがよくわからないの」とユミヨシさんがとても静かに言った。「時々あなたのことを思い出すの。でもあなたという人間の実体がよくわからないの」
「君の言っていることはよくわかる」と僕は言った。「僕は三十四だけれど、残念ながら年齢のわりにはまだ解明されていない部分が多すぎる。保留事項も多すぎる。今それを少しずつ詰めているところなんだ。僕なりに努力してる。だからもう少し時間がたてば、いろんなことを君に正確に説明できると思う。そして我々はもっと深く理解しあえるはずだと思う」
「そうなるといいわね」と彼女は非常に第三者的に言った。
p.105
「あなた料理が上手いのね」とユキが感心して言った。
「上手いんじゃない。ただ愛情をこめて丁寧に作っているだけだよ。それだけでずいぶん違うものなんだ。姿勢の問題だよ。様々な物事を愛そうと努めれば、ある程度までは愛せる。気持ち良く生きていこうと努めれば、ある程度までは気持ち良く生きていける」
「でもそれ以上は駄目なのね」
「それ以上のことは運だ」と僕は言った。
「あなたってわりに人のこと落ち込ませるのね。ちゃんとした大人のくせに」とユキはあきれたように言った。
p.107
「暗示性が具体的な形をとるのをじっと待って、それから対処すればいいんだと思う。要するに」
ユキはTシャツの襟もとを指でいじりながらそれについて考えていた。でもよくわからないようだった。「それ、どういうこと?」
「待てばいいということだよ」と僕は説明した。「ゆっくりとしかるべき時が来るのを待てばいいんだ。何かを無理に変えようとせずに、物事が流れていく方向を見ればいいんだ。そして公平な目で物を見ようと努めればいいんだ。そうすればどうすればいいのかが自然に理解できる。でもみんな忙しすぎる。才能がありすぎて、やるべきことが多すぎる。公平さについて真剣に考えるには自分に対する興味が大きすぎる」
p.199
「なんとかなるものさ」
「あるいはね」と僕は言った。「なるかもしれない。ならないかもしれない。誰にもわからない。みんな同じだよ」
「でも僕は現在のところある部分においてさえ楽しんでいないぜ」
「そうかもしれないけど、君はとてもよくやっている」
五反田君は首を振った。「よくやっている人間がこうして際限なく愚痴を言うものかな?そして君に迷惑をかけるものかな?」
「そういう時もある」と僕は言った。「我々は人間について話をしてるんだよ。等比数列の話をしているわけじゃない」
p.239
「いったい私はどうすればいいのかしら?」と少しあとでユキは言った。
「何もしなくていい」と僕は言った。「言葉にならないものを大事にすればいいんだ。それが死者に対する礼儀だ。時間が経てばいろんなことがわかるよ。残るべきものは残る。残らないものは残らない。時間が多くの部分を解決してくれる。時間が解決できないことを君が解決するんだ。僕の言うことは難しすぎる?」
「少し」とユキは言って、微かに微笑んだ。